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第25回【徳ある経営者になろう】経営者の器量〈1.諫言を受け止める度量はあるか〉

起業家として新しいビジネスを始めたい。生涯現役、第二の人生を開きたい。
ただの経営者ではなく、真理を実践する“徳”のある経営者になりたい。
そうした目標を達成するためのとっておきのメールマガジン「徳ある経営者になろう」。

大川隆法総裁の経営書シリーズ抜粋から、
経営の極意をつかんでください。

※当記事は、メールマガジン「徳ある経営者になろう」(隔週配信)の一部を紹介しています。

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 徳なるものは必ずあるものです。
それをみなさんにわかるようなかたちでご説明するならば、自分が生きてきた時間のなかで、自分のことより他の人の幸福のことを考えた時間のほうがはるかに多い人のことを、「徳ある人」と言うのです。
徳がある人というのは、他の人びとへの愛の思いを持ちつづけてきた人のことを言うのです。

※以上『人格力』より抜粋
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|第25回 経営者の器量〈1.諫言を受け止める度量はあるか〉

中小企業の経営者にとって、潤沢な人材を求めるということはとても難しい問題です。
また、平均的な社員の能力を、短期間で、しかも即戦力並みに鍛えて伸ばすということも不可能に近いと言えるでしょう。
そうであるならば、トップ自身がその能力を2倍、3倍に伸ばしていかなければなりません。トップには、仕事能力はもちろん、人を統率するリーダーシップ、立派な人格など、社員から信頼される資質が必要です。
経営者にとって求められる器量について学んでいきます。

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 人の上に立つと、周りの人からの諫言というか、「あなたのここが悪いよ」といったことを聞く度量が必要になります。それをまったく聞けなくなってくると、耳に入らなくなってくるので、危険度は増していきます。

 「自我から真の自己への発展」を続けていかなければいけないわけですが、そのなかに器自体を大きくする修行が入っていないと、上から叱られても、下から突き上げられても、なかなかそれを聞けるようにはなりません。それは傷つきたくないからでしょうが、こうした「小さなセルフ(自我)」というのは、基本的にはリーダーの器ではないように思います。

※以上『大人になるということ』より抜粋
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 「社長の周りには、イエスマンばかりが集まってくる」というのは、中小企業の常です。要するに、社長の機嫌を損ねたら、自分のクビが危ないため、社長の周りには、「お上手」を言って、社長をほめる人ばかり集まってくるのが普通なのです。イエスマンたちは、社長に対して意見を言ってはくれません。

 つまり、自ら「これをやりたい」と言ったら、自分に責任が生じるため、イエスマンたちは、社長から命令が出るのをじっと待っているわけです。しかし、帝王学を身につけるためには、やはり、諫言をしてくれる人、要するに、耳に痛いことを言って諫めてくれる人が側にいなければいけないのです。

 最終的には、トップが自分で責任を取り、決断しなければならないのですが、「ほかの人の意見を聞かない」という態度は、基本的には間違いです。トップは、「いろいろな意見をいったん斟酌した上で、物事を考える」という癖を持ったほうがよいのです。

※以上『経営戦略の転換点』より抜粋
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