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【「夢人たち」生涯現役人生】第5回 ヘレン・ケラー編〈前編〉

┃ 心に若さを、永遠に灯し続けている人になろう

 「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」で始まるサミュエル・ウルマンの「Youth」、日本では「青春(の詩)」をご存知でしょうか。「Youth」は、彼が70歳を超えて書かれた詩です。そして、「大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受け取る限り人の若さは失われない」と答えが導き出されます。心に若さを、永遠に灯し続けている人を、私たちは “夢人”と呼びます。
※松永安左エ門訳を引用

◆◇目次◇◆
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 1 夢人シリーズ:ヘレン・ケラー編〈前編〉
 2 夢人コラム:これぞ生涯現役人生
 3 夢人になるためのヒント:5つ目
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┃ 1┃夢人シリーズ:ヘレン・ケラー編〈前編〉
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 ヘレン・ケラーが生まれたのは、日本では明治時代にあたる1880年、米国アラバマ州タスカンビアという小さな町でした。生まれて半年で言葉を発して周囲を驚かせますが、1歳7か月の頃に原因不明の高熱と腹痛に侵されます。一時は医者も見放すほど重篤な状態になったものの奇跡的に回復。しかし、その後遺症で視力と聴力を失ってしまいます。

 もともと賢かったヘレンは、自分の気持ちをうまく表現できない苛立ちから、動物のように暴れる毎日。両親は何人もの医者を訪ね、希望を手繰り寄せる努力を試みます。なかでもヘレンが16歳の時に亡くなってしまう父親のアーサーは、最後までヘレンが立派な人になれると信じて疑いませんでした。そのアーサーがヘレンをベル博士やサリバン先生に巡り合わせたのです。ベル博士とは、電話の発明で有名なアレクサンダー・グラハム・ベルです。彼は、聴覚障がいの教育者であり、第一人者でした。お互いすぐに打ち解けた二人は、歳の離れた生涯の友人となるのです。 

 さて、映画『奇跡の人』の主人公として描かれたサリバン先生も、5歳の頃に重い目の病気に罹り、視力を失っています。9歳のときに母を亡くし、父親は酒に溺れる始末。当時、アニーと呼ばれていた彼女は、弟ジミーとともに州立の救貧院に引き取られました。そこは、病人や身寄りのない子どもたちの施設でしたが、食事も粗末でひどい環境でした。そのジミーも衰弱して、やがて息を引き取ります。一人ぼっちになってしまったアニーですが、救貧院を視察で訪れていた州の委員会議長に「どうしても勉強したい、学校に通いたい」と直訴します。その願いが叶えられ、盲学校で猛勉強したアニーに奇跡が訪れます。2度目の目の手術で、視力を少し取り戻すことができたのです。首席で卒業したアニーは、「世に出て人々のためになる仕事をして、幸せな世界をつくりたい」とスピーチしました。卒業してすぐ、アニーは一通の手紙を受け取ります。それはアーサーからの手紙で、ヘレンの家庭教師を頼みたいという内容でした。

 そこからはヘレンと、アニーことサリバン先生の格闘の日々が始まります。サリバン先生はヘレンを決して甘やかしませんでした。「暗闇のなかで孤独に生きている、かわいそうなヘレン。必ず立派な人間になるから、今は我慢して」と心を鬼にして接していたのです。同じ闇の世界を経験したからこそ、サリバン先生はヘレンの気持ちが手に取るようにわかったのでしょう。ヘレンの進歩は目覚ましく、やがて2000語以上もの単語を話せるようになりました。新しいことを知りたいがゆえに向学心は止まりません。二人は体調を崩してしまうほど勉強を重ね、1900年、ヘレンは名門のラドクリフ女子大学に合格します。

 彼女は人生の途上で、いくつもの素晴らしい言葉を遺しています。「この世でもっともすばらしく美しいものは、目で見ることも手で触れることもできません」。やさしさであるとか、愛であるとか、心でしか感じることができない価値を、ヘレンはその心で感じ取っていたのでしょう。「目の見えない者にとって、本は目です」。目が不自由だったヘレンは、読書から多くのことを学びました。

 やがて、ヘレンにとって、もっとも深い悲しみの日が訪れます。長年、魂の片割れとも思われたアン・サリバン先生との別れ。70年の生涯でした。そのわずか数日後、ヘレンは英国行きの船の上にいました。その時の思いが彼女の日記に綴られています。「時間の大部分を激しい心情に押し詰められ、まるで夢遊病者のような気がする。先生と一緒に先生の新しい無限に豊かな生活へ途中まで行けるならやさしい。自分の悲しみより他人の悲しみを思い、自分の星々のすべてを涙が消し去るとき、盲人のために希望の“ともしび”を掲げ、仕事の喜びが飛び去ったのに、成すべき仕事を一つまた一つと成し遂げる――こうしたことが私を過酷に駆り立てるから恐ろしいのだ」と。

 ヘレンが80歳の誕生日のとき、記者から「今後の計画」を聴かれ、ヘレンが答えた言葉があります。「これからもずっと息をしているかぎり、障害者のために働きます」。ヘレンは「使命感そのもの」の人でした。

文責:木藤文人

 

参考文献:『この人を見よ!歴史をつくった人びと伝6 ヘレン・ケラー』ポプラ社/『ヘレン・ケラーの日記』明石書店

*** もっとおススメ本 ***

●『ヘレン・ケラーの幸福論』
/大川隆法(著)

/1,650 円(税込)
(2014年11月発刊)
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 本書では三重苦のなかで抱えていた霊的な感覚について、ヘレンが語っています。

 
「知識的に、少し「学問の世界」を知ったこと以外には、やはり、「教会で神様の教えを学んだ」ということがあるでしょうかね。「私たちが生きているこの世以外の世界があって、神様がそこにおられるということは、目が見えず、耳が聞こえず、しゃべるのも自由でない自分のほうが、むしろ、その神様のいる世界のほうに近いところにいるんじゃないか。実は、その境界線に立ってるんじゃないか」と思ったんです。

 逆に、この世の人たちは、健常であるがゆえに、この世の世界が見えるがゆえに、あの世の世界が見えない方、あの世の声が聞こえない方、神様が感じられない方がたくさんいらっしゃる。そういう意味で、地上には、“目の見えない人”が溢れていらっしゃるんですよね。何億人も、何十億人も……。神様なんか知らない。霊界なんか知らない。天使なんか知らない。そういう方がたくさんいらっしゃる。

 このように、実は、“逆転”していて、健常者と思われる方が、魂において、健常者ではなく、健常者でない私のほうが、魂においては、神様がつくられた世界の、いちばん近いあたりにいたのかなあっていう気もします。」
(PP.58-59)

著者プロフィル
大川隆法(おおかわ りゅうほう)
 幸福の科学グループ創始者兼総裁。
1956年、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業。81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界172カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。著作は42言語に翻訳され、発刊点数は全世界で3150書を超える。また、27作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、450曲を超える作詞・作曲を手掛けている。

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