2024年07月19日
【「夢人たち」生涯現役人生】第4回 樹木希林編〈後編〉
┃ 心に若さを、永遠に灯し続けている人になろう
「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」で始まるサミュエル・ウルマンの「Youth」、日本では「青春(の詩)」をご存知でしょうか。「Youth」は、彼が70歳を超えて書かれた詩です。そして、「大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受け取る限り人の若さは失われない」と答えが導き出されます。心に若さを、永遠に灯し続けている人を、私たちは “夢人”と呼びます。
※松永安左エ門訳を引用
◆◇目次◇◆
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1 夢人シリーズ:樹木希林編〈後編〉
2 夢人コラム:夢を叶える
3 夢人になるためのヒント:4つ目
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┃ 1┃夢人シリーズ:樹木希林編〈後編〉
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2000年を越えると、樹木希林は病との闘いを余儀なくされます。60歳のとき、網膜剥離で左目を失明。その2年後には乳がんが判明し、摘出手術を受けます。しかし、“映画”とは積極的に向き合い「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」、「歩いても 歩いても」、「奇跡」などに出演します。70歳の時、日本アカデミー賞のスピーチで、全身ががんであることを告白。当時の「文藝春秋」の手記には「病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろうと。」と語っています。その後も「駆け込み女と駆け出し男」、「あん」「海街diary」、そして、「万引き家族」では、カンヌ映画祭でパルムドールを獲得。さらに「日日是好日」と快進撃が続きます。
是枝裕和監督とのつきあいは「歩いても、歩いても」に始まり、「奇跡」、「海街diary」、「万引き家族」と四本に及びます。なかでも是枝監督が日常を描こうと苦心した「歩いても、歩いても」では、樹木のさりげなく演じる日常のなかで、お互いの見えてくるものとが重なり、リスペクトしあう間柄になります。樹木は「なんでもないところのなんでもない動きを見ていてくれるのが、役者としてすごく嬉しいんです。(中略)人間が生きている、動いている、止まっていないということを、是枝監督はちゃんと見ていてくれるし、そういう撮り方をされています。(中略)役者をもう何十年もやっていますが、そうそう出会えないですよ。」(『希林さんといっしょに。』より)と。
2018年9月、女優・樹木希林は、75歳で帰天、その激動の生涯を閉じます。是枝監督が樹木の覚悟について綴った弔辞から、その一部を紹介します。「映画(「万引き家族」)は出来上がり、(2018年)6月8日に公開されました、希林さんはそこで私たち二人の関係をキッパリと終わりにするつもりだったのでしょう。私の腕につかまりながら、杖をついて壇上にのぼったその日、あなたは別れ際、私にこう言いました。「「もう、お婆さんのことは忘れて、あなたはあなたの時間を、若い人のために使いなさい。私はもう、会わないからね!そして、本当に、その言葉通り、翌日から私がいくらお茶にお誘いしても、かたくなに断られました。私はうろたえました。あなたほど、覚悟が出来ていなかったのです」と。
死と向き合う“覚悟”は、彼女の人生観、信仰観から容易にうかがい知ることができます。2013年のインタビューから「もっと人間はこう、自然の中で、あっという間に死ぬかもしれない、でまた誕生がある。そういうものじゃなかろうかという風に思ったら、もっと楽しく人生をやっていけるんじゃないかと思うね」と。また、TV番組の対談では、死と向き合うことが少なくなった若い世代に対して「死というものを日常にしてあげたいなと。子供たちに、孫たちに。そうすれば怖くなくなる、そうすれば人を大事にする。」と語りかけます。そして、2009年、死を意識するようになってからの夫・内田裕也との関係を語って「死に向けて行う作業は、おわびですね。謝るのはお金がかからないから、ケチな私にピッタリなのよ」と。その内田は、短いコメントを寄せました。「最期は穏やかで綺麗な顔でした。啓子 今までありがとう。人を助け 人のために祈り 人に尽くしてきたので 天国に召されると思う。おつかれ様。安らかに眠ってください。見事な女性でした。」
参考文献:『いつも心に樹木希林』キネマ旬報社/『希林さんといっしょに。』スイッチ・パブリッシング/『樹木希林 120の遺言』宝島社
*** もっとおススメ本 ***
本書で語られた樹木希林さんの霊言から、一部抜粋をお届けします。
樹木希林「悪いことがあっても、やっぱり、それをできるだけ自分の、何て言うか、「薬にしなくちゃいけないな」と、いつも思っていたんでねぇ」
樹木希林「同じ仕事を受けても、「ほかの人よりも、ちょっとでも良心的に演ろう」と思うことが大事で。もちろん、自分の役柄の成功も思わなきゃいけないけど、「作品としての成功や、監督さんとしての成功、主演の方等の成功、あるいは、スポンサーをやってくださったり、配給してくださったり、映画をつくってくださったりしている方々、ご支援を受けている方々の、みんなの成功になりますように」っていう気持ちを持って、自分の役割をできるだけ満行するっていう気持ちが大事だと思います。」
樹木希林「大川隆法先生が、この世で生きておりながら、神様の役割の一部を果たしておられることだけは、よく分かります。本当に、言っておられるとおりだと思います。教えておられるとおりだと思います。それがもうちょっと広がるようにお手伝いしたかったのにできなかったことだけは、今世の残念なところです。」
「『死んだら、やっぱりあの世はあったよ』、この一言を伝えたくて樹木希林さんの霊はやって来たのだろう。お寺での本葬より早く、この公開霊言は刊行となるが、たったこの一行の真理を伝えるために、私がどのくらい苦労しているかを、よくよくわかって下さっていると思う。」(大川隆法総裁「あとがき」より)
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本書は第1章、総論としての「芸能と仏法真理」、第2章では質疑応答形式で「幸福を生み出す芸能、不幸を生み出す芸能」について、わかりやすく語られた内容です。芸能については、単に流行る作品が善であるとは限らず、そのなかに「真・善・美」が含まれているか否かが問われるのです。質疑応答では「トップレベルの俳優等の心のなかの思いについて」、また、「人間が悪に惹かれる理由と、悪の扱い方」にについてなど、芸能を目指す人たちへの指針が説かれています。俗悪でデモーニッシュな芸能作品、映画などが多い昨今、幸福の科学が提唱する「芸能理念」が理解できる一書です。
著者プロフィル |
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大川隆法(おおかわ りゅうほう) 幸福の科学グループ創始者兼総裁。 1956年、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業。81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界171カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。著作は42言語に翻訳され、発刊点数は全世界で3150書を超える。また、27作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、450曲を超える作詞・作曲を手掛けている。 |