2023年04月08日
【天国に還るための終活】第6回 生涯現役の人生 ―前編―
┃ 本当の終活とは「自分がなぜ生まれてきたのか」を悟ること (#2)
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┃ 2┃講師・僧侶によるコラム:「ケーキ作りの夢を叶えた生涯現役人生」
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「ネバーエンディング・セミナー」講師・僧侶の田中稔之さんのコラムをお届けします。
「老いとは衰弱ではなく、成熟することだ」とは、105歳で亡くなられ、生涯現役であった聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏の言葉です。「歳を重ねるということは、素晴らしいことだ」という考え方をもって、私たちも長生きしたいものです。
そして、晩年まで世の中のお役に立つことが出来れば、なお理想的ではないでしょうか。幸福の科学の大川隆法総裁は、「たとえどのような職業につこうとも、『人生の達人』を目指すのが、『生涯現役人生』なのだ」と教えてくださっています。
「人生の達人」、それはただ長生きしているというだけでなく、自らの心を磨き、人を幸せにしてあげられるような存在ではないでしょうか。そんな「人生の達人」と言えるような方をご紹介したいと思います。
貧しい家に生まれ、子どもの頃にお菓子など食べたことのなかったIさんは、小学生の時に見た古い料理本のケーキの写真に衝撃を受けました。「世の中にはこんな美味しそうなものがあるんだ」と。そして子ども心に「絶対、これを作りたい」と思い、大学では栄養士の資格も取りましたが、夢と現実とは程遠く、一日一日を生きていくのが精一杯だったそうです。しかし、夢だけは忘れませんでした。
宗教施設でのボランティアを通じて心を磨き、数々の出会いを経験して、人を幸せにするケーキ作りの夢をずっと心に温めていたそうです。ご主人の転勤のたびに、転居先の近くのケーキ屋に勤め、とにかくケーキ作りにたずさわってきました。そして60歳になろうとする頃、決心してお菓子工房を開業したのです。
今、そのお菓子工房は、製菓が追いつかないほど繁盛しています。Iさんは、ケーキを食べる家族が幸せになり、子どもたちが嬉しそうにしている姿をいつも思い浮かべながらケーキを作っているそうです。季節ごとのオリジナルケーキを考案し、美味しいものを低価格で提供できるよう工夫を凝らした結果、その美味しさと安さが評判となって徐々にお客さまが増えてきたといいます。Iさんは40年越しの夢を叶えたのです。
※『日野原重明の霊言』参照
講師プロフィル |
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田中稔之(たなか としゆき) 1959年、真言宗の寺院に生まれ、大正大学仏教学部に進学。僧籍を得るが中退し、コンピュータのソフト開発会社に就職する。89年、幸福の科学に奉職。延べ8,000人を動員している「ネバーエンディング・セミナー」講師として活躍。 |
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田中講師:セミナーのお知らせ
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\生涯現役のための/
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最寄り駅/みなとみらい線「日本大通り」駅 3番出口より徒歩1分
◆有料 ※詳細は、電話にてお問い合わせください。
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┃ 3┃スピリチュアルルポ:伊能忠敬の故郷を訪ねて~佐原散歩〈前編〉
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水郷の町、佐原。ここに、伊能忠敬の生家があります。かつて利根川水運の要衝として栄え、江戸情緒を今に遺す町並みは、ぶらり散歩がてら訪ねるには絶好の場所です。
1745年、忠敬は小関村で名主を務める、いわし漁の網元、小関家に生まれました。幼名は三治郎。6歳の時に母を亡くしますが、父は幼い三治郎を小関家に残し、10歳になって実家に引き取りました。父の実家、神保家も小関家に劣らぬ名門で、酒造業を営む大地主でした。干鰯の産地である九十九里の村々には商人の出入りが激しく、小関家はこれらの商人と深くつきあっていました。三治郎は算術に優れており、父は塾を開くなど、教養人として彼に影響を与えたといいます。
その後も算術や医学書を学んだ三治郎は、16歳で佐忠太を名乗り、17歳で小関、神保両家に縁のある伊能家への婿入りが決まりました。その伊能家は実業の酒造業が立ち行かず、窮状にありましたが、彼は薪問屋や米穀取引の新規事業を始め、10年で経営を立て直しました。その時の名は源六。後に三郎衛門と改称し、昌平黌(昌平坂学問所)に入り、その名を忠敬と改めたのです。時に36歳、大名主としての地位を確立しました。
当時、「天明の大飢饉」が起こり、岩木山、浅間山の大噴火による降灰で、農作物が大打撃を受けます。一説では2万人が餓死し、疫病によって飢饉の間に90万余人の人口減があったそうです。佐原村も穀物の不作と利根川の洪水によって大きな打撃を受けますが、忠敬は村の地主たちと相談し、村で創設した永久相続金を救済に当て、家業の収益の相当部分を村民救済のために使いました。佐原村からは一人の餓死者も出ませんでした。
伊能忠敬と言えば日本地図のイメージが大きいのですが、人生の前半は企業家として成功し、私財をなげうって多くの村民の命を救った人物だったのです。彼からは多くのことが学べます。「学問に熱心だった」「勤勉に働いた」「伊能家の経営を立て直した」「多くの村民を餓死の危機から救った」。さて、次回はいよいよ忠敬の後半生に迫ります。
*** もっとおススメ本 ***
105歳、まさに生涯現役を貫いた名医による、いつになっても楽しく働けるための仕事術です。「矍鑠(かくしゃく)」という言葉は、年老いても尚丈夫で元気だという意味ですが、帰天されてからも矍鑠とした雰囲気が霊言から伝わってきます。
「百五歳まで現役」を通したストレス・マネジメントや、病と上手につきあう極意、7歳で※受洗し、信仰をもつ大切さなど実践したからこその知恵を学ぶことができます。1970年「よど号ハイジャック事件」の飛行機に乗り合わせ、死を覚悟したことが「お返しの人生」を生きるきっかけだったとか。幸福なエイジレス人生の秘訣を、ぜひ味わってみてはいかがでしょうか。
※キリスト教で洗礼をうけること
企画、構成 編集者プロフィル |
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木藤文人(きどうふみと) ジャーナリスト、宗教家。 大学を卒業後、大手広告代理店に勤務。フリーとして独立後、「週刊東洋経済」「プレジデント」「経済界」「ザ・リバティ」等の執筆を経て、2007年、幸福の科学出版に入局。『天国に還るための終活』等、編著も多数。 |
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