2024年04月19日
【「夢人たち」生涯現役人生】第3回 樹木希林編〈前編〉
┃ 心に若さを、永遠に灯し続けている人になろう
「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」で始まるサミュエル・ウルマンの「Youth」、日本では「青春(の詩)」をご存知でしょうか。「Youth」は、彼が70歳を超えて書かれた詩です。そして、「大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受け取る限り人の若さは失われない」と答えが導き出されます。心に若さを、永遠に灯し続けている人を、私たちは “夢人”と呼びます。
※松永安左エ門訳を引用
◆◇目次◇◆
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1 夢人シリーズ:樹木希林編〈前編〉
2 夢人コラム:お返しの人生
3 夢人になるためのヒント:3つ目
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┃ 1┃夢人シリーズ:樹木希林編〈前編〉
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当時、一世を風靡していた歌手、ジュリーこと沢田研二の写真を前に「じゅりぃ~」と身悶えするポーズは、お茶の間の笑いを誘いました。TBSのテレビドラマ『寺内貫太郎一家』で、わずか二十九歳で演じた“きん婆さん”の怪演ぶりを覚えていらっしゃる方も多いでしょう。『時間ですよ』で知られるTVプロデューサー久世光彦との対談では、彼女の芝居における「笑い」へのこだわりと、即興でできたという「じゅりぃ~」の誕生秘話が語られています。(『いつも心に樹木希林』より)
本名は内田啓子(旧姓:中谷)。1943年に東京で生まれ、18歳のときに文学座付属演劇研究所に入所。「悠木千帆(ゆうきちほ)」の名前で女優活動をスタートしました。その芸名は、芸能界では勇気が必要だという意味で苗字は父親から。そして、千帆は版画家・前川千帆が描く女性の“ほっぺ”の膨らみが、彼女の風貌によく似ていたことにあやかったそうです。1977年からは、木が集まって希な林をつくる。人が集まって何かが生まれ育つという意味を込めた「樹木希林(きききりん)」を名乗りました。
1964年、森繁久彌主演のドラマ『七人の孫』にレギュラー出演したことを皮切りに、『時間ですよ』、『ムー』、『夢千代日記』など、脇役として引っ張りだこに。CMにも多数起用され、正月恒例の富士フィルムのCM「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに映ります」は本人が提案したもので、一躍、人気フレーズになりました。
『樹木希林120の遺言』の巻頭の言葉で、彼女は幸せについてこう述べています。「幸せというのは『常にあるもの』ではなくて『自分で見つけるもの』。『自立すること』が他人の価値観に振り回されない秘訣であり、自分の頭で考えて自分で動く。さらに、何でもない日常や、とるに足らないように思える人生も、おもしろがってみると、そこに幸せが見つけられるような気がする」(抜粋)と。そうした彼女の撮影現場をおもしろがるという気持ちが、お茶の間に「笑い」という幸せとなって届けられたのでしょう。
彼女が39歳のときに記したエッセイでは、法華経の『薬草喩品第五』のなかの「この世に生まれる者は、必ず何かの役をもっているのだ」についてふれ、芸能人としての己の役割を果たすことに言及しています。そして、「芸能人としてのこの世での役は、死に目に出会わなくなった世の人びとに、己の死にざまをお見せすることかもしれません。その生きてきた人生をぶっちゃけながらです」と。まさに、その予言の通り、全身のガンを宣言し、その壮絶な生き様を世間に晒すことを厭うことなく、それでも役者としての使命に徹した彼女の信仰者としての強い意志がうかがえます。
参考文献:『いつも心に樹木希林』キネマ旬報社/『樹木希林 120の遺言』宝島社
*** もっとおススメ本 ***
「七十五歳で亡くなるのは、女性としては少し早いかもしれません。ただ、実際の「健康年齢」、仕事のできる活動年齢としては、このあたりが限界であり、その後は病気をするなどして、なかなか仕事もできなくなる人も多いでしょう。そういう意味では、燃焼し尽くした人生だったのではないかと思います。」(本文より大川総裁のコメント)。
生涯現役を貫いた女優、樹木希林さんの真っ向勝負の霊言です。何ら隠し事もなく、まっさらな心で生き抜いた生涯。その語り口には、わが人生に対する誇りが感じられます。役者としての七つ道具、お天道様のような気持ちで神さまの御心を演技で表現したこと、そして、「やっぱりあの世はあったよ」と。彼女の自然体の演技からは、信仰心と優しさ、芯の強さが伝わってきます。
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冒頭では、長寿を願うことは執着ではなく、人間は生涯にわたって学ぶことがあること。そして、長寿で帰天した人のほうが、この世に対する執着が少ないことが説かれ、その上で長寿を得るための五つの方法論が示されています。次章では、五十六歳から七十二歳まで、日本全国を測量して日本地図の完成に貢献した伊能忠敬の生涯に言及。
最終章では、生涯現役の心構えとして、六十歳前後で「偉人伝」を読み直し、志を新たにするなど具体的な事例が紹介され、大川総裁自身が体験された病気からの復活や、壁塗り方式と称する学習法などが披露されます。宗教は「天国に還るための実学」である。人生に目標をもち、使命を果たすことを誓い、積小為大の精神の偉大さが込められた一書です。
著者プロフィル |
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大川隆法(おおかわ りゅうほう) 幸福の科学グループ創始者兼総裁。 1956年、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業。81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界170カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。著作は42言語に翻訳され、発刊点数は全世界で3150書を超える。また、27作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、450曲を超える作詞・作曲を手掛けている。 |